禅宗黄檗宗三重山円城寺

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三重山 圓城寺
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円城寺の歴史・概要

  • 円城寺について

    円城寺について

    円城寺は記録等がほとんど残っておらず、詳らかではないが、旧藩主鹿島 鍋島直杉家より出家し桂巌老和尚の弟子となり崇勝院寂恵宲湛大師と号し三百年前、当時を建立したのを開基として伝えられています。

    千七百年代には、隠元禅師の弟子たちにより次々に黄檗の寺院が建立されています。特に佐賀は、当時八十五ヶ寺の黄檗寺院があったと記録が残っています。円城寺もその一つで、決して大寺ではなく小さな庵として建立されたのでしょう。また、住職が無住の時代もたびたびあり、大きな発展はなかったようです。
    私の祖父、明玄和尚が熊本八代の三宝寺から瀬高の円鏡寺を経て、大正十四年頃この円城寺に赴任されました。

    赴任された当時は現在の原形はなく、小さな庵で本尊は仏間に安置されていたそうです。昭和六年に現在の本堂が建立されました。
    当時の本堂としては内陣が朝鮮模様の柱と欄間が鮮やかで、建創優美な佇まいだったそうです。

    明玄和尚は、檀信徒の教化活動に熱心に取り組まれ、現在の円城寺の基礎を築いてくれました。
    先代、正明和尚は老朽化した庫裏を改築し、また本堂の瓦のふきかえや庭の造成、山道の整備と事業を次々とこなされました。
    そして私の普山式まで見届け、自分の役目が終わったかのように示寂されました。

    私は、平成五年に正明和尚から法を嗣ぎ、円城寺十六代住職として襲名を受けました。これまで歴代の住職が三百年間守り続けてきた
    円城寺を私の代で衰退させる訳には行きません。この21世紀という時代を迎え、寺のあり方、存続があらゆる面で難しくなってきています。しかし時代の荒波に耐え、円城寺を未来へとつなげて行かなくてはなりません。
    私もその中の住職の一人として、その職を全うしていく所存です。

  • 21世紀を迎えて、はたして寺のゆくへは

    21世紀を迎えて、はたして寺のゆくへは

    全国で寺院の数は77100軒、神社が81249軒、ちなみにコンビニエンスストアの数は40000軒だそうです。
    コンビニよりはるかに寺社仏閣の数が多いわけです。しかい私達の生活に密接な関係にあるのはコンビニだと言わざるをえません。
    あと20年先では、寺院の数を逆転するかもしれません。

    寺院は長い歴史を経て現在に至っています。コンビニのように数年前に開店して、売り上げが悪いから閉店しますと言う具合にはいかないのです。
    大きな伽藍、墓地を有する寺院は、会社の様に倒産することも出来ないし、勝手に壊すこともできません。逆に残していかなくてはなりません。

    神社も同じです。近年に於いて無住の寺院が増えてきました。
    寺院も何百年という時を経て今にいたっている訳ですが、長い歴史の中で
    現在より貧しい時代は多々あったはずです。
    それでも祖先方は今に残してくれました。現在の裕福な時代になぜ無住寺院が増えていくのでしょうか。

    まず、一つ考えられるのが社会的背景です。今のように社会が整っていなかった時代、寺院は戸籍を取り扱う場であったり、人の集まる集会場、子供の遊ぶ場や教育の場、寺小屋としても人々が集まる拠り所でした。
    この様にお寺にとっては、活躍の場でもありました。しかし、あまりにも社会が一変した現代においては、寺に残されたのは仏事を営む場だけで、いつしか社会の片隅に置かれる状態となってしまいました。

    二つ目の理由としては、寺院に対する住職の絶対数が足りません。
    現在、寺院数77000軒に対して住職数は40000人をきっていると思われます。
    戦前までは、小僧として寺に預けたり、仏道を求めて出家する人たちも多かったようです。
    しかし、今となっては、寺院のほとんどの所が世襲制になっています。
    まず一般の人が就職の為に出家するという事はほとんどありません。

    本来、坊主は女性禁制で、一人で食べていけばよかった時代がけっこう長くありました。
    しかし近年にあっては、社会的にも結婚をし家族を持ち後継者を育て、寺を守って行こう態勢が出来上がりました。
    しかし家族を持つということは、食べさせなければなりません。さら広い境内、伽藍を維持していくには多くの経費が生じます。

    そして寺院(大本山・観光寺・新興宗教を除く)のほとんどは、檀家を主として成り立っています。
    寺は商売のように不特定多数の人からお金を取れません。よって檀家の多い少ないによって収入が大きく違ってきます。
    この様な現実的な問題もあり、お坊さんを育成して行くにはなかなか難しい時代になっているのかもしれません。

    三つ目の理由は、家督制度が重んじられなくなった今、これに伴い寺の根本でもある檀家制度が成り立たなくなって来ている事です。
    もともと檀家制度は、江戸幕府がとった『寺請制度』からきています。
    この制度により一般的な寺は守られ発展し、現在に至っていると言っても過言ではありません。
    特に戦後、日本はめまぐるしい経済成長を遂げ、それと同時に核家族化がどんどん進んでいきました。
    それには、欧米の文化、思想が入りそれに刺激を受けた人々が自分のライフスタイルを求め、分散していきました。

    それまでは、長男が家を継ぎ墓を守ると言うことが当たり前でした。この家督制度により檀家も続いてきたわけです。
    家を守れなくなった現代では当然、檀家数も減ってきます。特に地方の寺は顕著です。
    逆に人が集まる大都会ではお墓が建てられない、檀家が増えて人手が足りないというお寺もあります。
    これからは寺院も家で求められるのではなく、自分の感性やライフスタイルに適した寺院を求める、
    個の時代に突入したと言ってもいいかもしれません。

  • 寺内

    社会が熟成し、豊かになった時代においてお寺は、この様な問題に直面し、そぐわない時代なのかもしれません。
    しかし、むしろ寺院がこの熟成した社会に追いついていないから寺の無住化などの問題が起きていると考えたほうがいいのではないでしょうか。

    これまで寺院の無住化、また寺院の現状について述べてきましたが、これから先、寺院はどういう方向に進んでいくのか、その役割をどう求められいくのか、かつてない難しい時代に直面していると思います。 特に21世紀に入り社会も、パソコン、スマートフォンの全盛時代に切り替わり、情報・通信が飛躍的に発達しました。 これからはIT機器が無かったら社会も私達の生活も、もはや成り立たなくなっています。当然、お寺としても無視は出来なくなりました。

    私もこうやってホームページでお寺の紹介や意見を皆様に伝えることが出来ます。これはお寺にとってアピールにもなるし、寺の経営にもプラスになります。
    ひと昔前だったら、住職はお寺にどっしりと腰をおろしていればよかったのですが、今となっては住職であっても腰をおろすどころか、営業して廻らなくてはならない時代になってきました。

    かつて葬儀は寺院が仕切っていました。現在は葬儀社中心に動いています。葬儀社は、遺体の運搬やお葬式の補助をしてくれる存在でしたが、今となっては斎場を造り、お葬式を一つの演出の場として提供しています。
    これもお寺と家とのデメリットをうまく取り入れ、時代の流れに乗ったからでしょう。
    いつの時代もこの『流れ』をうまく掴んだ者が成功者になれます。

    今日、檀家制度もゆるぎはじめ「家」から「個」へ流れがついている中、お寺もやはり魅力的な存在でなければなりません。
    仏事だけを提供する場だけではなく、昔は色々な目的で人が集まる拠り所として親しまれたように、むしろ楽しい場としての活用を見出していかなければならないと感じています。

    お寺の広い境内、大きい本堂を活かして何か出来ることはないか。これからの寺院は、町や地域との密接な関係を築き、コミュニティの役割を担う事が、今後寺院を存続していく活路ではないかと思います。

    皆様は仏教や寺院にどのようなイメージをお持ちなのでしょうか。もしかすると重苦しく暗いイメージしかないかもしれません。
    これは、近年寺院が仏事だけに専念し、固定観念を植え付け、寺を開放しなかったことに責任があります。
    古来から仏教は、日本人の持つ精神、また文化様式や生活様式に大きくかかわっています。

  • 猫

    今日、欧米儀式が日本に溶け込み私達は、何の違和感もなく生活しています。
    ある学生がアメリカへ留学したそうです。
    彼女も不自由するのは言葉ぐらいだろうと思っていたそうです。
    しかし半年経って感じたのは、私はつくづく日本人であったと思ったそうです。
    真似は出来ても欧米人にはなれないのです。

    その一つは宗教の違いからきています。宗教が違えば、精神や文化まで違ってくると言っても過言ではありません。
    六月の終わり頃、テレビを見るとヨットで遭難し海上自衛隊に救助されたコメンテーターの辛坊治郎さんが涙ながらに「日本という国に生まれた事に感謝します」と
    答えていました。

    実は、助けられた海域は波が高く飛行艇が着水できる状況ではなかったそうです。
    それにも関わらず、団員たちは、命を投げ出して救助をしました。

    また、福島の原発事故をあるイタリア人がテレビで見て、「あんな事故をイタリアで起こしたら、もうとっくに投げ出している。日本人だから何とかできたのだろう」と呟いていました。
    さらに、東京オリンピック招致のプレゼンで猪瀬都知事が「もし日本に来て財布を落としても
    次の日にはあなたの手元に届いている。」とアピールしていました。
    日本人ならば別に不思議なことではないのですが、外国人にとっては有りえないことなのでしょう。

    この様に日本人の精神は、忍耐強く任務に対して諦めず遂行し、また困っている人には手を差しのべる、この精神は、本来何から来ているのだろうと考えた時、仏教語の「上求菩提 下化衆生」がピッタリと当てはまるのです。
    この意味は「自らは向上心を持って努力をし、困っている人があれば手を差しのべる」という意味です。
    我々の祖先は仏教徒であり、そのDNAは我々の深層意識の中に深く組み込まれ受け継がれているのです。
    これは仏教ばかりでなく神仏融合の精神と言った方がいいかもしれません。

    私も歳をとったせいか、風情がある日本に生まれてつくづく良かったと思います。
    春は花見でお酒が飲める。夏は里帰りをしてお祭りや花火を楽しみ。
    秋は紅葉狩りをして秋の味覚で舌鼓を打つ。冬は温泉で身体を温め鍋を囲む。
    これも神仏融合の精神を持つ先人が日本独特の文化様式や習慣を作り上げていきました。
    もし日本の宗教がキリスト教やイスラム教だったら、このような風情のある習慣ができたでしょうか。疑問に思います。

    たまに「私は無宗教です」と言う人がいます。これは単に知らないだけで、世界では通用しません。
    もし外国人から何の宗教か尋ねられたら、堂々とブゥディストと答えてください。
    仏教の発信源はお寺なはずです。これから若い世代のお坊さんは、頭も柔軟でユーモアがあります。
    きっとお寺を進化させて活躍の場を広げてくれるでしょう。
    皆様も仏教をもっと身近なものとして捕らえ、お寺にもご遠慮なく近づいてきてほしいと思います。
    両者が出会った接点に、仏教の新しい展開、また寺院興隆の道が開けて行くでしょう。